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ちびまる子ちゃんランドを行く
静岡中部~西部を担当することになり早3年目、徐々にお客様も増えてきたものの、
いまだ清水区にはお客さんがおりません。
「仕事とってこんかい!頭使わんかいワレ!」
と前回の会議で要旨上記のようなことを述べていた社長を思い浮かべつつ車内で清水区で石屋さんをググっていると、
なぜか「ちびまる子ちゃんランド」なるものが表示されました。
そう、清水といえば「ちびまる子ちゃん」でありますな!営業は地域を知ることから始まるのではないでしょうか。
そういうわけでさっそく直行してみました。
入場料は600円です。
全体的に小奇麗にまとまってて、懐かしい感じが良いです。
思えば小学生のころ、毎週みてました。
図書館ではさくらももこの著作が集められています。
ここで本を読み漁れば、600円も安いですよね。
私は「やぎそば植田」というネットで批判の対象になっているエッセイを読んでみました。
感想は・・・確かに批判が多いのもうなずける内容でした。
やっぱり昔の作品が好きだなあ・・・。
出入口付近では給食が食べれます。
こちらのオジさんにまじって、私もソフト麺を食べました。
結構おすすめスポットです。
★★★★☆
前野
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【2016/11/10 17:57】
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南印度洋行日本文化部
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沖縄と先祖の話
注意:長いのでよほど暇な方のみお読み頂けたらと思います。
■はじめに
この仕事をしていると「なぜ人は墓をつくるのか」という根本的なことを考えるのは私だけではないと思う。
沖縄旅行のおり、玉陵(タマウドゥン)という琉球王家の墓や、「神の島」とよばれる久高島の墓所を見学し、改めて、日本人の生死感と埋葬に興味をもった。
そこで、私が入社時に服部から頂いた
家宝
の『新訂・先祖の話』(柳田国男著 初版)を読みながら、「なぜ人は墓をつくるのか」という問題を改めて考えてみた。
なお、私は民俗学の専門家ではないので、誤った解釈があるかもしれない点を予め述べさせて頂きたいと思います。
■沖縄のお墓
沖縄は非常に美しい石の文化をもつ地域である。それは城(グスク)や庭園にもっともよくあらわれている。
地元の石灰岩でつくられており、本当に美しい、世界に誇れる文化財である。
沖縄の墓は巨大で、人が住めるほどのものが多く、一部の亀甲墓は巨大な古墳のようでさえある。
そして、やはり石造りのものが多い。なぜこのような巨大な墓が多いのかといえば、その理由は死者の埋葬方法にあるようであったようである。沖縄では、風葬が一般的な埋葬方法であった。
写真は、琉球王家の墓(タマウドゥン)である。
遺体を安置して10年以上してから、、白骨化した遺体の処理「洗骨」をおこない、骨壺におさめる。
タマウドゥンでは部屋は3つあり、遺体を安置する部屋、洗骨後に骨壺を収める部屋が二つがある。
死体を安置するため、また一族の遺骨を安置するため、石室の面積は大きくなる。
しかし、一方で庶民はタマウドゥンのような破風墓や亀甲墓のように巨大な墓をつくることはできなかったという。
庶民が覇風墓や亀甲墓をつくることを許されたのは明治以降である。
庶民は多くの場合、洗骨などは行われず、遺体は共同の風葬場所(葬所)安置したままであったと思われる。
つまり風葬というのは、二種類あったと考えられる。
琉球地方の風葬には大きく分けて二通りの方法があった。
ひとつは特定の洞窟、山林を遺体を安置してそのまま共同の墓地とする原子的な方法と、
亀甲墓や破風墓の中に棺を一定期間安置し、風化して白骨化した後に親族が洗骨を行い、
改めて厨子甕におさめる方法である
wikipedia 風葬
もっとも、庶民の墓所においても遺骨収蔵の甕などは発見されているので、
両者の折衷的な埋葬方法もあったと考えられ、時代によっても変化したと考えられるので、単純に二分できるものでもないだろう。
亀甲墓 写真はwikipediaより
中国の福建省から伝わったとされる形式のお墓の形状。巨大な古墳のようにみえる
久高島の墓所
では1960年代まで風葬が残っていたとされている。
写真は久高島の墓所。さながら住宅地のような佇まいの墓所である。
■祖霊信仰:仏教教化前後の埋葬と生死感
現在においては風葬というのが、沖縄特有の風習のようにも感じられるが、このような葬送はかつては全国的に普通にあったようである。むしろ、墓の下へ葬るという葬送形式はもっとも新しい方法であると柳田国男は指摘している。
「墓へ、土の下へというのがわが国では最も新しい考え方で(中略)風習に指示されてる」(
先祖の話P192)
もちろん、土葬は古代より日本でもおこなわれているので、ここで柳田国男が指摘する埋葬とは、現在のような地下納骨堂と石碑が一体となった形の埋葬方法を指していると思われる。
では、古来の日本人は一般的にどのように遺体を葬送していたのだろうか。
「遺骸を永久に保存する慣行が、一部上流の間に存したことは確かであるが、これと同種の方葬法は民間にはおこなわれず、
しかも石を勒して記念とする風も一般ではなかった」
P193
「葬送のみがあって碑を建てぬ場合、これにも樹を植えたり石を置いたりして標示をしていたのかもしれぬが、それを記憶する者が大体なくなる頃には、自然にその場所は忘れられてしまうのである。」
(先祖の話 P194)
ようするに、山、海、洞窟等の共同の墓地に遺体を安置し、風化するにまかせ、あとは場合によっては簡単な記念碑のみをつくったということである。(この記述は、土葬にしてそのまま忘れれるにまかせるというものも含まれると解される。)
例えば、下越後では新しい埋葬地の上へ若木を植えるという風習があったという。また、海岸等から小さな小石を拾ってきて置く風習は国の多くの場所にあったという。東北などでは「早く知れなくなるのがよい」と年忌のたびに、盛り土を小さくしていくところもあったという。
現在からみると一見粗暴な風習のようでもあるが、「
これは亡骸を幽界の代表者として保存、
また奉仕するつもりはなかったからである。保存すべきものを粗末にしていたのでは決してない。」
(先祖の話 P244)。
まつるべき霊は別にあり、遺体は、速やかに消えてしまうことが重要であったということである。
自然に故人を忘れてゆき、清い安らかな心で故人の霊に接したいという考え方であったという。
また魂も忘れられることで自由にこの世とあの世を行き来するという考え方もあったようである。
これは比較的現在の樹木葬に近い考え方かもしれない。
また、別の方法として、遺体の安置場所とは別に墓所をつくり、そこで祖先を祭るという両墓制という形式をとっていたという。
ここで重要なのは、日本人にとっては、もともと墓所というのは、埋葬場所ではなく、祖先を祭る場所だったということである。
墓所は祭場だったのである。
いずれにせよ、遺体と死者の魂を別のものと考えていたのがポイントである。古来の日本人にとっては、祭るべき魂は遺体とは別にあった。ただし、死んですぐの魂は、身近な存在であり、場合によっては危険な面もある。それが、時間を経て、あるいは祭りや儀式をへて、人格や個性がなくなり、一族や国を守ってくれる存在になるのである。
これを祖霊信仰という。
この祖霊信仰は仏教教化以前からある信仰であり、仏教による教化がすすんでも、消え去ることはなかったという。
人が死んで極楽に行ったり、別のものに生まれ変わるという仏教思想は、一面では死への恐怖や、不遇の霊魂への不安や恐怖を抑えるとう効用が大いにあったが、一方で、国や一族をまもってくれる祖先が遠くへいってしまっては困るという考えもあった。祖先はお山や海にいて、時に招くものだったのである。
そこで祖霊信仰がある程度仏教化し、あるいは仏教自体が日本的に変化していくなどして、折衷的な形へと変化していった。
「33回忌」の「とぶらいあげ」ということは、あるいは双方からの譲歩であって(中略)これがおおよそ「よいころ合いの区切り」と認められ(中略)私多き個身を捨て去って、「先祖」という、一つの力強い「霊体」に溶け込み、自由に、家のためにまたは国の公のために活躍し得るものと、もとは考えていた
(先祖の話P196)
ところで、祖霊信仰はかならずしも日本独自のものではないと思う。私の中国南部蘇州出身の友人で「家に先祖を祭る棚がある」と教えてくれた人がいて、「先祖って誰?死んだおじいさん?」と聞いたところ、「おじいさんじゃなくて、もっと偉い人」「だれでも先祖になるわけではない」と言われ、混乱したことがあるが、上記の記述を読むとよく理解できた気がする。
友人のいっていた「祖先」とは柳田国男の定義する「祖霊」と同じか、近いものであり、もっと一般化した神様のような存在を指していたのである。
■「なぜお墓をつくるのか」
私が沖縄の巨大な墓所を見た時の感動は大きく、「日本古来の葬送形態を残しているもの、正統なもの」という印象を受けた。
だが、こうして考察してみると、沖縄が原初的な風葬を比較的最近まで残していたのは確かであるが、すでに述べたように、亀甲墓は中国に原型があるものだし、今見られるような巨大なお墓が中世以前から一般的に作られてきたわけではない。シーミー祭も中国に原型があるものである。
また
「沖縄では三十三回忌を境にして、霊が御神になると信じられている」
(先祖の話p173)のように、仏教と祖霊信仰との融合もみられる。 沖縄の葬送方法は、原初的な祖霊信仰、仏教、中国の影響などをうけて、時代ととも、に変遷してきたものである。
また、沖縄から始めた考察であるが、日本全国の葬送も同様に、時代の変遷とともにかなり変化してきたということがわかった。
何が伝統で、何が正統かとは簡単にはいえないのである。
確かに言うことができるのは、その変化をもたらしてきたのは、生きているものの思いや考えであるということである。
死者の魂への畏怖や愛着である。
お墓が死んだ者にとってどのような役に立つかは一度死なないとわからない。だが、生きていく者の「死壊の恐怖」「死者への信愛の念」「一族繁栄の願い」など、さまざまな心理の働きを安らかにするための場として存続してきたのは確かである。
「なぜ墓をつくるのか」という問いの答えはそのようなものではないだろうか。
不完全ながら、これを一旦の結論としようと思う。
文責 めんそ~れ・前野
【2016/05/08 15:24】
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長野県安曇野明科に神代の文字をみた!
この度、安曇野の明科地域に神代文字(阿比留文字)を記した石版があるとの情報を得て、
社命により調査を行ってきました。
神代文字とは、漢字が日本に入ってくる以前に日本で使用されていたという伝説的な文字です。
いくつかの系統があるそうです。
「な、なんだって~」
これがその写真です。ドドーン
え?神代文字のはずが、江戸時代末期造立と書いてあると?
違うのです、これは何かの陰謀の可能性があります。
巨大な組織の力が重大な秘密を覆い隠そうとしているのですよ。
これはまさに神代に不思議な力で作られた、オーパーツであり、神々の指紋でありXファイルなのです!
写真以外にも、大きな石碑が複数あり、それらをい屋敷神として祭っていたそうです。
さぞや立派なお屋敷だったのでしょう。安曇野は、石と信仰のかかわりが強い地域であると思いました。
南印度洋行ミステリー調査班(MMR)
【2015/08/07 11:03】
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南印度洋行日本文化部
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新潟出張
新潟出張に行ってきました。
春の新潟はとてもよい出張日和でした。
新潟名物といえば、へぎ蕎麦ですが、山菜の天ぷらがもっとおいしかったです。
東京で食べるのと全然ちがいます~。
あと、新潟名物といえば石油。
海で掘るものと思っていたのですが、
日本最初の石油は山中から産出していたのですね!!
車の中で、同行の営業部長M山よりエネルギー安全保障における
南印度洋行の役割について薫陶を受けました。(USO)。
新潟といえば鮭ですが、高かったので、同行の上司M山よりドンキホーテで売っているという鮭とばを頂戴し、
車中で食べました(いつも車に積んでいるようです)。
こういった板張りの家が多いですが、これは新潟特有の建築様式なのでしょうか。
知ってるひといたら教えてください。
今回は新潟の良いところを満喫できました。
仕事については書きませんでしたが、今回御邪魔した石屋の皆様ありがとうございました。
楽しい出張となりました。
図面部 前野
【2014/04/19 16:04】
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